位置の思想② ラベルは議論を始めるためではなく、終わらせるために貼られることがある

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誰かが意見を述べたとき、
内容よりも先に名前が与えられることがある。

リベラル。
保守。
理想論。
現実主義。

その言葉が置かれた瞬間、
議論は少しだけ動きを止める。

私たちは本当に、
その人の考えを理解したのだろうか。

それとも、
理解しなくてもよい場所に置いたのだろうか。

目次

ラベルには本来、役割がある。

複雑な世界を整理するための、
小さな目印のようなものだ。

しかしそれは同時に、
距離を固定する働きも持っている。

「あの人はリベラルだ」

そう認識した瞬間、
言葉は内容ではなく、立場から読まれる。

すると議論は、意見の交換ではなく、
位置の確認へと変わっていく。

どちら側か。
内側か、外側か。

私たちは知らないうちに、
理解よりも先に配置しているのかもしれない。

なぜラベルは、これほどまでに安心をもたらすのだろう。

おそらくそれは、
考え続けなくてもよくなるからだ。

人は本来、不確実な状態に長く留まることが苦手だ。

わからない。
判断できない。
まだ結論が出ない。

その揺れに耐えるより、
名前を与えてしまった方が早い。

ラベルとは、思考の終点として機能することがある。


ただ、ここで少し立ち止まりたい。

ラベルを使うこと自体が問題なのではない。

問題は、それが
理解の入口ではなく出口になってしまうときだ。

本来、言葉は世界を開くためにある。

しかし配置のためだけに使われると、
世界は急に狭くなる。

人ではなく、記号と話しているようになる。


もしかすると成熟とは、
ラベルを持たないことではない。

ラベルを知りながら、
それを一度脇に置ける態度のことなのかもしれない。

名前を与える前に、もう少しだけ聴いてみる。
配置する前に、もう少しだけ眺めてみる。

そのわずかな余白が、
思考の呼吸を守る。


対立が深まるとき、
そこでは意見が衝突しているというより、
位置が固定されていることが多い。

もしそうだとしたら、
議論に必要なのは説得力よりも先に、
互いを記号にしない姿勢なのだろう。

理解とは、ラベルを外したところから始まるのかもしれない。

——位置の思想

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この記事を書いた人

感情が揺れやすく、思考が止まりやすい時代に、
立ち止まり考え続けるための“凪”をつくる発信をしています。

説得しない。
ただ、考え続けられる場所に立つ。

人は、選ぶ存在である。

—— 凪=選択可能性が最大の認知状態

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