向き合うという幻想――それは、私が諦めてきたこと

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「ちゃんと向き合えば、分かり合える」
「話し合えば、きっと伝わる」

そう思って必死に言葉を重ねた。
大切な人に、ずっと一緒にいたいと願う人に。

しかし、結果はいつも残酷だ。
分かり合えない、平行線。

努力が足りないのだろうか。
説明不足なのだろうか。
相手が逃げているだけなのだろうか。

長い間、そう思おうとしていた。

向き合うことが、正義だった頃

向き合うことは、
ずっと「正しい態度」だとされてきた。
• 逃げない
• 話し合う
• 本音でぶつかる

それができない人は、
未熟か、冷たいか、誠実さに欠けると。

だから私は、
何度も向き合おうとした。

言葉を選び、
説明し、
相手の背景を想像し、
感情も受け止めようとした。

それでも、何も変わらない場がある

けれど、
どうしても変わらない場があった。
• 話せば話すほど、論点がずれる
• 説明するほど、誤解が増える
• 誠実であろうとするほど、消耗する

向き合っているはずなのに、
なぜか一人で戦っている感覚だけが残る。

ここで初めて、
私は疑い始めた。

本当に、向き合うことは善なのか?

第二層で起きている「向き合い」

ある前提では、
向き合うとはこういう意味を持つ。
• 勝ち負けを決める
• 正しさを示す
• 引いた方が負け

この世界では、
向き合うことは戦闘に近い。

沈黙は敗北。
距離を取るのは逃走。
離れるのは勝ち逃げ。

だから、
向き合うことが求められる。

第三層で起きている「向き合い」

別の前提では、
向き合う意味が変わる。
• 関係を保つため
• 誤解を減らすため
• 互いを尊重するため

ここでは、
向き合うことは調整になる。

ただし、
条件がある。

相手も、向き合う前提を共有していること。

この前提がズレていると、
向き合いは成立しない。

向き合いが、成立しない瞬間

私が諦めてきたのは、
人ではない。

成立しない前提の上で、
向き合おうとし続けることだ。
• 相手は勝敗の世界にいる
• こちらは関係の世界にいる

このズレがある限り、
どれだけ誠実でも、
向き合いは噛み合わない。

それでも続ければ、
削られるのは、いつもこちらだ。

さらに先に見えてしまうこと

もう少し先に行くと、
向き合う/向き合わない、という言葉自体が
あまり意味を持たなくなる。
• 分かり合う必要がない
• 正す必要もない
• 教える義務もない

そこにあるのは、
ただの「距離」だ。

近づかない。
離れる。
説明しない。

それは冷たさではない。
無関心とも違う。

摩耗しない位置を選んでいるだけだ。

向き合わないという誠実さ

向き合うことを諦めると、
楽になるわけではない。

むしろ、
理解されないことを引き受ける覚悟がいる。

それでも私は、
向き合わないことを選んできた。

なぜなら、
向き合うことが
必ずしも誠実ではない場を、
知ってしまったからだ。

幻想だったもの

向き合えば分かり合える、という考えは、
間違いではない。

ただ、
成立条件が限られている。

それを無視した向き合いは、
優しさでも、勇気でもない。

私が諦めてきたのは、
向き合うことそのものではない。

向き合えば何とかなる、という幻想だ。



この文章は、
誰かを説得するためのものじゃない。

同じように、
「もう向き合えない」と感じた人が、
自分を責めなくて済むためのものだ

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この記事を書いた人

感情が揺れやすく、思考が止まりやすい時代に、
立ち止まり考え続けるための“凪”をつくる発信をしています。

説得しない。
ただ、考え続けられる場所に立つ。

人は、選ぶ存在である。

—— 凪=選択可能性が最大の認知状態

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