なぜ人は、考えない方が「楽に感じられる」ようになったのか

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「最近、考えるのがしんどい」
「もう、深く考えたくない」

そんな言葉を耳にする機会が、以前より増えたように感じる。

それは怠惰なのだろうか。
思考力が衰えたからなのだろうか。

私は、そうは思っていない。
むしろこれは、個人の問題ではなく、環境の変化として説明できる現象だと考えている。

情報が「更新され続けているように感じられる」世界

現代では、私たちは非常に高い頻度で情報に触れている。
• 正しいとされていた情報が、すぐに修正される
• 昨日の常識が、今日は疑問視される
• ある見解を理解した直後に、反対の見解が流れてくる

結果として、多くの人が
「情報が常に更新され続けているように感じられる環境」
の中に置かれている。

これは誇張ではなく、
主観的な時間感覚が加速する現象として、
認知科学やメディア研究の分野でも指摘されている。

「何も安定していない」という感覚

この環境では、安心できる前提がなかなか定まらない。
• 信じていたものが、すぐ揺らぐ
• 所属や立場が流動的で固定されない
• 評価基準が見えにくい

その結果として生まれるのが、
「何も安定していない」という感覚だ。

これは単なる気分の問題ではない。
心理学的には、
• 不確実性への耐性の低下
• 基本的信頼感の揺らぎ
• 認知的な安全性の不足

といった状態として説明できる。

「一つを信じれば安心」という構造が成立しにくい

かつては、
• 権威
• 長期的な所属
• 一貫した物語

が、「これを信じていれば大丈夫」という感覚を支えていた。

しかし現在は、それらが頻繁に更新され、再解釈され、時に否定される。

そのため、
何か一つを信じたからといって、
安心が保証されるわけではない世界
になっている。

この構造の変化は、個人の選択以前の問題だ。

流れに身を任せる、という選択

こうした状況の中で、
多くの人が無意識のうちに選んでいる態度がある。

それは、

自分で確定的に決めるより、
流れに身を任せる


というあり方だ。

これは思考停止ではない。
むしろ、判断コストが過剰に高くなった環境への適応だと言える。

考え抜いても前提が崩れる。
選択してもすぐに不確実性が戻ってくる。

そうであれば、
強く握らず、状況に合わせて動く方が「楽に感じられる瞬間」が増えるのも無理はない。

いま起きているのは「不安の前面化」

この状態を構造的に見ると、
ひとつの特徴が浮かび上がる。

それは、
不安や防衛が、各層で前面に出やすくなっていることだ。
• 間違えたくない
• 叩かれたくない
• 取り残されたくない

だからこそ、
• 強く主張しない
• 決めきらない
• 深く踏み込まない

という振る舞いが、合理的になる。

これは弱さではない。
不安定な環境に対する、自然な防衛反応だ。

「考えない方が楽」という感覚の正体

「考えない方が楽だ」と感じる瞬間が増えたとしたら、
それは堕落の兆候ではない。

それは、

これ以上、この条件で考え続けるのは消耗が大きすぎる

という、心と身体からのサインかもしれない。

考えられなくなったのではない。
考えるための前提が、あまりにも不安定になっただけだ。

結論を急がない、という態度

だから私は、
「もっと考えろ」とも
「考えるのをやめろ」とも言いたくない。

ただ、
• なぜ考えることが重くなったのか
• なぜ流れに身を任せる感覚が広がっているのか

その構造に気づくこと自体は、無駄ではないと思っている。

これは評価や断定の話ではない。
いま起きている現象を、できるだけ正確に描写しようとしただけだ。

考え続けることが難しくなった世界で、
まず必要なのは、
「自分がおかしいのではない」と理解することなのかもしれない。

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この記事を書いた人

感情が揺れやすく、思考が止まりやすい時代に、
立ち止まり考え続けるための“凪”をつくる発信をしています。

説得しない。
ただ、考え続けられる場所に立つ。

人は、選ぶ存在である。

—— 凪=選択可能性が最大の認知状態

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