無意識の構造⑦ 利得最大化の原理 — 人は本当に「得」をするために選んでいるのか

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私たちは、自分のことを合理的だと思っている。

より良い条件を選び、
損を避け、
自分にとって得になる道を進む。

少なくとも、そう信じている。

それが——
利得最大化の原理である。

人は、自分にとって最も「得」だと感じる行動を選ぶ。

長いあいだ、この考えは
人間理解の前提とされてきた。

だがここで、一つだけ立ち止まってみたい。

私たちが求めている「得」とは、
本当に同じものなのだろうか。

利得とは、外からは見えない

得と聞くと、多くの人はこう想像する。

収入が増える。
効率が良い。
評価が上がる。
損をしない。

それらは分かりやすい。

だが現実の私たちは、
必ずしもそれだけで動いてはいない。

遠回りだと分かっている道を選ぶ。
条件よりも居心地を優先する。
報われないと知りながら関係を続ける。

外から見れば非合理だ。

それでも本人の中では、どこか整っている。

なぜなら——

利得とは主観だからである。

安心できる。
自分らしい。
後悔しない気がする。
意味があると感じる。

それらは数値化できないが、
意思決定に深く関わっている。

合理性は外から説明できる。
利得は内側でしか分からない。

人は「利益」ではなく「内的整合」を守ろうとする

一見不利に見える選択に、
人が留まり続けることがある。

それは判断を誤っているからではない。

多くの場合、人が守ろうとしているのは——

自分の中の整合感である。

価値観とずれていないか。
自分に嘘をついていないか。
この選択を引き受けられるか。

この静かな一致があるとき、
人は損得を越えてそこに立つ。

利得最大化とは、
単なる利益の追求ではない。

「自分にとっての意味」を損なわないこと。

そう言い換えることもできる。

「得かどうか」だけで選び続けるとき

もし選択の基準が
「得かどうか」だけになったとしたら。

人生は少しずつ安全になる。
だが同時に、少しずつ狭くなる。

失敗は減る。
予測はしやすい。
だが未知も減っていく。

気がつくと選んでいるのは、
望む道ではなく、間違いにくい道になる。

ここで主体は静かに縮む。

なぜなら、基準が外側に置かれているからだ。

凪は、「外側の得」から降りる場所である

凪とは、合理性を否定する場所ではない。

ただ、
その物差しだけに支配されないための余白だ。

一度だけ立ち止まり、問う。

「これは得か」ではなく、
「私はこれを引き受けられるだろうか。」

この問いが戻るとき、
選択は再び内側に重心を持つ。

凪とは——

自分にとっての利得を、静かに見失わないための状態である。

人は合理的ではない

——だからこそ、人間である

もし人が完全に合理的なら、
選択は計算で終わる。

迷いも葛藤も必要ない。

だが私たちは揺れる。

感情に動き、
意味を求め、
ときに非効率な道を選ぶ。

それは欠陥ではない。

むしろ、人間の特徴に近い。

私たちは——

利益のためだけに生きているのではない。
自分にとっての利得を守るために、選んでいる。

凪とは、最適解を出す場所ではない。

自分なりの答えに静かに辿り着くための余白である。

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この記事を書いた人

感情が揺れやすく、思考が止まりやすい時代に、
立ち止まり考え続けるための“凪”をつくる発信をしています。

説得しない。
ただ、考え続けられる場所に立つ。

人は、選ぶ存在である。

—— 凪=選択可能性が最大の認知状態

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